2007年-東南アジアの旅 (カンボジア-アンコール遺跡-アンコール・ワット2回目) [帰国日]
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シェムリアップ最終日、そして帰国日。願いを込めて最後のサンライズに出かける。トゥクトゥクに乗り込み、料金所をサラリと通過し、アンコール・ワットに向かう。何度も通り、すでに見慣れた光景も今日で最後かと思うと、もう少し強く目に焼き付けようと意識を集中してしまう。ゆっくりと風景を見たかったこともあり、今朝だけはトゥクトゥクを利用することにした。5時半前に到着し、人の波に逆らわず、アンコール・ワットに向かう石畳を進む。一昨日の経験から、太陽の昇るおおよその位置は予測できる。自分なりに絶好の場所を確保し、サンライズを待つことにする。
後ろの方で歓声が上がる。その数十秒後、アンコール・ワット中央塔の向かって右側から昇る太陽を見た。言葉では言い表し様のない情景。手持ちのGR Digitalで切り取るには少し荷が重い。同じG.Hに泊まっている東京芸大の人も来ており、彼はキヤノンの一眼デジ(EOS kiss)とタムロンのレンズの組み合わせで撮っている。それに加えて、銀塩カメラも持ち合わせていた。撮り方も様になっており、その撮影している光景がそのまま一枚の画になりそうな感じを受けた。発するオーラが違う、自分にないモノだけにちょっとうらやましく感じた。
G.Hに戻り、朝食をガッツリ取り、自転車を1USドルでレンタルした後、ちょっとひとっ走りオールド・マーケットへ出かける。何かを買うというわけではなく、ただ雰囲気を楽しみたかっただけ。マーケット内を適当にぶらつく。今日も肉には蝿が飛び交っている。呼び子に何度も声をかけられ、買う気もないのにだらだらと商品を眺め、値切って断る。気付けば、待ち合わせの時間が近づいていた。急いで、G.Hに戻る。時間は9時半を迎える。
今日は、まず郵便局に行き、ポストカードを送る。その後、プリア・カン、バイヨン、最後にアンコール・ワットを巡る予定。すべて1度は訪れた遺跡だ。ただ、今回違うのは移動方法。今まで、トゥクトゥクだったり、バイクタクシーだったりしたのが、自転車に変わる。無駄に時間と体力を費やすことになるだろうが、これはこれで楽しめそうな気がする。アンコール遺跡群を自転車で駆け巡る、なんて贅沢な遊び方だろう。R君、M君も自転車を借り、いよいよ出発である。
行きはよいよい帰りは怖い状態になるのかな、なんて思いつつ、とりあえず郵便局に向けて自転車を走らせる。ものの10分程度で到着し、とりあえず実家宛に送ってみる。「来年、ペルーに行くんでよろしく」と書き添えてやった。さて、改めて料金所へ向けて疾走する。太陽は雲に隠れていることが多く、直射日光をあまり浴びなくてすむ。ありがたい。カラッとした空気の中、自転車はとても軽やかにアスファルトの上を転がる。疲れもほとんど感じられないまま、アンコール・ワットを通過した。バスの団体さんは、僕らのことをどんな目で見てるんだろうな。バスが横を通過するたびにそんなことを考えていた。いよいよ、アンコール・トムの入り口、南大門を通り抜ける。南大門から、アンコール・トムを出る北大門までは直線距離にして約3キロメートル。数字で見ると、結構な距離なのだが、走ってみるとたいした事はない。自転車に乗っているからこそ目で捕えることのできる小さな風景が飽きさせないからだろう。
しかし、ここでハプニング発生。R君のチャリンコがパンクしてしまったのだ。日本のように便利な修理屋さんは到底期待できない。そんな時、自転車に乗ったひとりの少女が僕らの横を通過し、そして止まった。どうやら、修理屋さんを案内してくれるらしい。3人とも疑心暗鬼に包まれながらも、うしろをついていく。わき道に入り、どこからどうみても現地の民家といえる場所に到着する。本当にここで大丈夫なのだろうか、そう思った矢先、子供がわらわらと出てきた。すぐさま、自転車のチューブを取り外し直しにかかる。手馴れたもんである。30分後、どうにか自転車は復活した。直し賃は、1USドル。こんなに安くていいのだろうか、R君もそう思ったらしく、2USドル手渡していた。最後は笑顔で写真撮影、その裏でここを案内した少女は不満顔だった。実は、この少女はここではなく、別の場所の修理屋を案内しようとしていたらしいのだ。なのに、途中で子供たちに呼ばれるままに別の場所に行ってしまった僕ら。ごめんね、女の子。
2回目のプリア・カン。しかし、1回目とはまた違った印象を持つ。これが遺跡マジック? 何度訪れても、来訪者を飽きさせないのはこのせいだろうか。たぶん、次の日に再び訪れたとしても、飽きることなく日陰でぼーっと過ごせると思う。もと来た道を戻り、バイヨンを訪れる。最初に訪れたときはガイドブック片手に歩きまくったので、今日は遺跡を肌で感じることにした。適当に散策である。バイヨンはこじんまりとしているが、完成された寺院であることが容易に窺える。回廊に施された浮き彫りもさることながら、大きな菩薩の顔が来る人を驚かせてくれる。気軽に動き回れる大きさの遺跡のため、自分の好きなようにルート設定ができるのもいい。
締めはアンコール・ワットである。中心部に入るのは2度目だが、石畳まではすでに幾度も訪れている。すでに慣れっ子の域である、自分の中で。今回は、ゆっくりと回廊の浮き彫りを見て回ることにした、しっかりとガイドブック片手に。絵を眺めつつ、自分本位の解釈を行う。半時計回りに閲覧し、終盤の阿修羅の戦いの絵になると密かに気持ちは盛り上がっていた。白鳥に乗るブラフマーなど、知っている神なだけに喜びは募る。回廊をゆっくりとまわり、再び中央塔に登り、下界の景色を楽しむ。観光客が小さく見える。ふと、ムスカの礼の言葉が頭の中で再生される。今回はラピュタ尽くしだなぁ、と物思いに耽りながら、帰りの石畳を歩いていた。
G.Hに着くと、実は飛行機ギリギリの時間だということに気付く。R君とM君の連絡先をちゃちゃっとメモしてもらい、(時間がないっていうのに)注文したパイナップルシェイクを飲み干し、空港へ向かうトゥクトゥクに乗り込んだ。隣には、G.Hを切り盛りする子供さんが乗り込む。カンボジアでは子供が大活躍している。隣に座っている子供も、G.Hになくてはならない存在。空港に着くまでの間、つたない英語で言葉を交わし、最後の時を楽しんだ。
飛行機は、約30分遅れで離陸。無事に22時ごろ、バンコクに到着した。バンコクを発つのは翌日6時。最後に、スワンナプーム空港内のマッサージ屋に出かけた。1時間で380バーツ。カオサンでは1時間200バーツだったから、倍額である。しかし、背に腹は代えられぬ。最後くらいは、ゆっくりと疲れを癒してバンコクを発ちたいのだ。丁寧にフットマッサージをしてくれるタイ女性、何度も寝そうになってしまう。でも、寝たら気持ちよさも忘れて、時を迎えてしまう。それだけは何となく嫌だ。気持ちよさを受けつつ、裏では必死に我慢大会を繰り広げていた。
4時30分過ぎ、マッサージで癒した足を酷使して、搭乗手続きに走って向かう。事務作業を何ら支障なく終え、あとは成田行きの飛行機を待つばかりとなった。RedBullを片手に、空港に着いてから読み始めた小説をバッグから取り出しページを開く。乃南アサの『水の中のふたつの月』、小説を読んでいると日本の匂いがサッと鼻をかすめていく。たぶん、気持ちが落ち着いているときに読書をするからだろう。日本はやはり、自分の中でいちばん心が落ち着く場所である。
飛行機は離陸し、同日14時過ぎに成田に到着した。乱気流に巻き込まれることなく、薄曇の広がる空が迎えてくれた。成田についた瞬間、目まぐるしく今後やるべきことが頭の中を駆け巡る。明後日は研究発表だ、明々後日は内々定者懇談会だ、そして10月1日には内々定が内定となり、就職へ一歩近づいてしまう……。同時に、タイとカンボジアで過ごした時間が蜃気楼のように霞を帯び、今にも消え去りそうになっていることに気付く。昨日まで、この足は確かにアンコール・ワットを歩いていたというのに。
初めてのひとり旅、初めてのバックパッカー。言い尽くせないほどの経験をすることができた。少しの行動力があれば自分の知らない世界を知ることができる。院生である間にもう一度、今しかできない経験を上積みしよう。その前に、まずは時差慣れ以上に感じている日本慣れをどうにかしてから。